おすすめ

【business】DX「デジタル化」や「インダストリアルIoT」関連コラムの紹介

にほんブログ村 経営ブログへ

コラムの執筆させていただいております。
ご興味あるテーマがあれば是非ご覧ください。

Photo by Charlotte May on Pexels.com

●製造業における5S

デジタル化とは直接関係なさそうなテーマですが、さにあらず。製造業における5Sについて解説しています。5Sはただお掃除して綺麗にするだけのことではなく、5Sの本質とその効果についてわかりやすく説明しています。最新技術で5Sを進めることをお勧めしています。
https://i-common.jp/column/corporation/5s

●製造業のシミュレーション技術 ”デジタルツイン”のインパクト

従来から存在するシミュレーション技術と近年盛んに言われている”デジタルツイン”との関係について解説しています。従来と最近では何か違うのか? 答えがあります。
https://i-common.jp/column/corporation/digital_twin/

●インダストリアルIoT(IIoT)とは何か?

インダストリアルIoT(IIoT)というのは、普通のIoTと何が異なるのか?一般的なIoTに対して、主に製造業ではIoTに何を期待できるのか? 
https://i-common.jp/column/corporation/industrial_iot/

●IoT時代に変革が求められるPLM

IoT時代に登場して30年のPLMがなぜ重要なポイントになるのか? PLMについての理解からIoTでのPLMの果たす役割について詳しく解説しています。
https://i-common.jp/column/corporation/iot_plm/

●コロナ禍からの復活のためのスマートファクトリー実現に向けて

スマートファクトリーという言葉は2010年に生まれたと言われています。10年たった2020年コロナ禍で加速するのか? 加速すべき理由、そして日本の製造業が再び元気になるための起爆剤になるための方法や条件について説明しています。
https://i-common.jp/column/corporation/smart_factory/

おすすめ

【Business】50歳からの副業

副業について書きます。副業の目的は収入を増やすためですが、どんなことができるのか調べたり実際に始めてみると色々なことがわかりました。

一般的にも副業のメリットは下記の通り労使双方にあるとされています。

<企業側のメリット>
① 優秀な人材の流出防止
② 自社業務では得られない知識・スキルを身につけてくれる
③ 社外の新たな知識・情報や人脈を作ってくれる
④ 副業の情報から事業機会の拡大につながる
⑤ 従業員が会社に依存しないようになる

<社員側のメリット>
① 所得が増加する
① 別のスキルが身につき社会人としての成長を促すことができる
② 仕事に対するモチベーションアップが図れる
③ 将来的な起業、独立へ向けた試験運転ができる

若い社員だけではなく、ベテランでも好奇心を持って動いてみるのは必ずプラスに働くと信じます。

Photo by luis gomes on Pexels.com
  1. きっかけ
  2. 顧問の受託
  3. チャンスは多岐
  4. 現業への貢献・シナジー

きっかけ

きっかけは新型コロナウィルスの影響です。最初は自分の会社には影響がないと思っていましたが、長引くに従い徐々に影響が出始めました。当たり前のように毎月同じ給料をいただける保証はありません。一方で住宅ローンや子供の学費はかかります。

数ヶ月前に採用面接を面接官として参加していたとき、採用希望の方が「副業はできますか?」と質問しました。その時社長が一つ返事でOKしました。採用担当も「今時、副業認めないと入ってくれませんよ」

それが頭にあり、会社の規定を確認したら、「許可なく副業することを禁ず」とありました。普通の会社は副業禁止です。ということで許可をいただくことにしました。本業に影響のない範囲でということで許可をいただくことができました。

顧問の受託

最初にしたことはネットでの調査です。自分の専門を活かす仕事が良いだろうと思い、限られた時間でお仕事させていただく顧問の登録をしてみました。これは「顧問」「副業」と検索するといくつかのマッチングサイトが検索結果に現れます。そこから内容を確認して良さそうな所に登録しました。

すると早速ある会社からオファーがきました。「デジタルツインを構築したい」内容はマッチしましたが、体制や時期など条件が合わず見送りとなりました。現業を抱えているため時間的な制約でお受けできる案件は限られます。しかし手応えはあり嬉しかったです。その後も条件が合わないオファーが頻繁にくるようになりました。

そこに、コラムの執筆依頼が来ました。この仕事が初めての副業としてのお仕事でした。今でもたまにコラムのお仕事をいただきながら条件の合う顧問の仕事を探しています。

実は専門を活かした顧問以外の顧問の仕事も相談があります。私の仕事の経験で得た人脈などを頼った営業顧問なのですが、販路が不十分なベンチャー企業などから依頼されます。これも現業の仕事時間は活動できませんからノルマのない成果報酬をいただける契約にしています。報酬をいただく成果までは簡単には至りませんが、良い商材を持っていて紹介しやすい場合もあるので可能な範囲でお受けしています。これは販売の勉強にもなっています。何かを売るって本当に難しいです。

チャンスは多岐

顧問に拘らず、自分の経歴を登録しておくとスポットでコンサルティングさせてもらえるマッチングサイトも見つけました。また、簡単なアンケートやライティング、ネーミングなどすぐにできる仕事ができるサイトも見つけて活用しています。やろうと思ったら会社で仕事をする時間以外でたくさん仕事があるということがわかりました。

特にスポットのコンサルティングサービスは安定性や継続性は無く短時間ですが単価が高いのでマッチングするとありがたいお仕事です。ほとんどがオンラインでのコンサルティングなので移動することも無く便利です。月に3本くらいの実績で見つかっています。

ライティングの仕事は企業から直接コラムの依頼などは別として、単価が低い傾向にあります。私はもともと作文が得意ではないこともあり時間単価にするとなかなか受けることはできないお仕事です。そこで学んで始めたのがこのブログです。ライティングスキルを身につけてアフィリエイトで収益を上げることに挑戦中です。ビジネスサイトとプライベートサイトの両方でブログで自分の公私を言葉に残すこと、それを誰かの役に立つ価値あるものにすることを目的にしています。

その他、別のタイトルで書いた、写真を販売してみたり、FXをしてみたり、不動産投資を調べてみたりとそれらはトライ&エラーの一環です。チャンスはいっぱいあることがわかったので、自分に合ったビジネスを探していこうと思います。

現業の貢献・シナジー

副業に力を入れてると本業の所属会社の仕事が疎かになると思われがちですが、私の場合はあてはまりません。

顧問やコンサルティングのマッチングサービスで依頼が来るのは、本業に関係する内容が多いです。また世の中の動きやトレンドが把握できることもあります。最近多い相談は、RPA導入に関する相談、情報システム構築の際の要件定義に関するもの、物流についても複数相談を受けました。そして多いのが新規事業の内容を評価してほしいというものです。

本業でも新規事業立ち上げを行っているので、同じように新しい事業を考えている人たちがたくさんいることや、一部ですがその内容を知ることができたくさん刺激を受けます。もしかしたら協業して進める事業も現れるかもしれませんし、良いアイデアは現業に取り入れるかもしれません。

そして、ブログに仕事の話をまとめることは普段表面的にしか伝えることができない自分自身の深い部分までを表現する手段であり、それをオープンにする事で市場価値がわかるのではないかと考えています。価値が有れば誰かの役に立つのではないか、それで収益を上げられれば嬉しいことです。

会社に属したまま自分で事業会社を立ち上げることも考えていますが、そこは慎重に考えるべき夢の段階です。50歳からでもできる仕事がたくさんあることがわかりました。こらから新しいビジネスを考えたり支援したりしながら楽しく人のためになる60代を目指したいと思います。

【Business】転職を考えている方へ

別コラムで書いたように、私は3度転職をして良かったこともあれば苦い経験もしています。転職しようとしてみることも大事だと思っています。自分の市場価値がわかるからです。その時にポテンシャル通りに自分を表現できるかということも重要です。

今いる場所で頑張ってみることも大事。一方、頑張っていることが自分に返ってきているか確認してみることも大事。頑張りすぎないことも自分のために大事かもしれません。

私が20~30代のころはこのようなサービスはありませんでした。あればもっと年収や環境の良い仕事についていたかもしれません。年齢が上がると難しくなることもありますし、後で経験するなら早いうちに経験しておいたほうが良いこともあります。

具体的な転職意向までは固まっておらず『今の会社でいいのだろうか』 『やりたいことが見つからない』など、ぼんやりとした悩みを抱えている方が利用しているサイトがあります。無料でキャリア相談してみるところから始めてみてはいかがでしょうか。

転職エージェントではないので企業の求人を紹介するものではありません。キャリアのカウンセリングとトレーニングをしてくれるサービスです。自分ひとりで転職活動するよりも自分に自信をもって、より好待遇のところが見つかるのだと思います。

まずは、無料相談からしてみてはいかがでしょう。

【word】与謝野晶子「女らしさ」とは何か

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長である、森喜朗会長が女性蔑視発言をしたことで世界中から非難をされています。力のある政治家なのでしょうが、あーあ、また失言しちゃったな、と思いつつ思い出したのが、与謝野晶子のことばです。
なかなか出所が思い出せず、探して探してやっと見つけました。それは・・・

今からちょうど100年前
1921年2月に書かれたもの

私なりの解釈は、与謝野晶子曰く「女らしさっていうけど、優雅でつつましくとか、優しくって人間らしさと意味は同じでしょ、女らしくないことって、冷酷とか生意気、無作法、粗野とか、男だってダメな事じゃない、人間としてダメなことを女らしくないなどと言うのは、男の傲慢である」

<以下「女らしさ」より途中部分抜粋(原文)>


 論者はまた、「女らしさ」とは愛と、優雅と、つつましやかさとを備えていることをいうのである。その反対に「女らしくない」ということは、無情、冷酷、生意気、半可通、不作法、粗野、軽佻等を意味するのであるといわれるでしょう。しかし愛と、優雅と、つつましやかさとは男子にも必要な性情であると私は思います。それは特に女子にのみ期待すべきものでなくて、人間全体に共通して欠くことの出来ない人間性そのものです。それを備えていることは「女らしさ」でもなければ「男らしさ」でもなく「人間らしさ」というべきものであると思います。人間性は男女の性別に由って差異を生ずる性質のものでないのですから、もしこれを失う者があれば「人間らしくない」として、男女にかかわらず批難して宜しい。しかるに従来は男子に対してそれが寛仮かんかされ、女子に対してのみ「女らしくない」という言葉を以て峻厳に批難されて来たのは偏頗へんぱ極まることだと思います。
 我国の男子の中には、まだこの点を反省しない人たちがあって、いわゆる豪傑風を気取った前代の男子の悪習を保存し、自分自身は粗野な言動を慎まないのみならず、その醜さをかえって得意としながら、唯だ女子にばかり、愛と、優雅と、つつましやかさとを要求します。しかし無情、冷酷、生意気、半可通、不作法、粗野、軽佻等の欠点は、男子においても許しがたい欠点であることを思わねばなりません。これを女にばかり責めるのは、性的玩弄物がんろうぶつとして、炊事器械として、都合の好いように、女子を柔順無気力な位地に退化せしめて置く男子の我儘わがままからであるといわれても仕方がないでしょう。

全文が青空文庫で読めます↓
https://www.aozora.gr.jp/cards/000885/files/3325_6558.html

この手記を書いた時代は、まだ市町村会議員にすら女性がなることは認められておらず、女性解放運動が行われていました。与謝野晶子は上記文章の前段で、こうも言っています。

同じ教育も受けていないのになぜ、女性が男と同じ職業につくのは無理だと結論付けられるのか、またヨーロッパでは女子が男子と同じ格好をして活発に体育をしている。しかし女らしさを失ったとは言われていない。すなわち「女らしさ」の認識は日本だけのものである。日本の歴史をみても、女帝、女性政治家、女兵、幕末勤皇婦人などがあったが非難されていない。紫式部を女らしくないと評価する者もいない。一方で男子が裁縫師、料理人、洗濯業者になっても男らしくないとは言われないし、女が書く日記を書いた紀貫之も男らしくないと非難されるどころか尊敬を集めている。

どういうことなんだ! と説得力ある論調で書かれています。この時代にこういうことを堂々と論じるのはとても勇気のいることだったろうなと推察します。

12人の子供を産み育て、稼ぎの少ない夫の分まで稼ぎ、海外にいったりと、純情・純粋で天才な与謝野晶子なイメージ。世の女性はそんな天才ばかりではないので、女性からは当時どう思われていたのかなとも思います。嫁(とつ)いで子供を産み育てながら家事で稼(かせ)ぐ夫をサポートするのが当たり前の時代なのでそれが女の幸せだと思う女性も多かったのではないでしょうか。100年たった現代ではど真ん中のストライクかな。国会でだれか読み上げればいいのに。

【おすすめ】こんな仕事も!自分のちょっとしたスキルや知識が売れます

あなたの「ちょっとしたコツ」を10分から売買できる「スキルシェアプラットフォーム」というものを見つけました。

簡単無料登録で出品なども無料!

購入時のみ手数料が差し引かれ残りがレッスン出品者の収入となります。 自分の「ちょっとしたコツ」を10分のレッスンから気軽に販売できる。 Web上だけで完結できるため、どこかで会ったり移動したりすることがなく手軽に始められます

カテゴリ

料理からギターの弾き方、プログラミングまであらゆるカテゴリを網羅!
占い、カメラの使い方なんかもあります

レッスン方法(選べます)

1、ビデオチャット
2、音声(電話)
3、文字チャット

長期で安定的な収入を確保できるかもしれないので利用してみてはいかがでしょう。

ー自分の「ちょっとしたコツ」を10分から売買できる!
ー自分自身がレッスンに!?質問に回答するだけで気軽に収入に!
ー自分の知識やスキルをWeb上だけで教えてガッツリ収入に!
ービデオチャット、電話、文字チャットなどレッスン提供方法自由に決定可能!
ーどこかに行かずどこかで会わずネットだけで完全完結できる!

【宣伝・広告】自宅で稼ぐ!! 子育てやご家族の時間と仕事を両立されたい方

オンラインアシスタントのスタッフ大募集!!をしているサイトを紹介します。

PCを使った事務経験

総務・経理、秘書業務などの経験

がある方ならどなたでも応募可能!!

ECサイト運営

HPの作成

イラスト作業

ができる方なら大歓迎! だそうです。

チームで協力して作業をするので短時間からでもお仕事をすることが可能です。
スキマ時間に作業をして報酬がもらえます。 ご経験された実務をもとに、さらなるキャリアアップを目指しませんか!?


★子育てやご家族の時間と仕事を両立されたい方

★通勤時間を少なくしてご自身のキャリアも大切にしたい方

今のお仕事には時間に余裕があるので、スキマ時間を考えてオンラインアシスタントをやってみたい方、 経験されたお仕事からさらにキャリアアップを望んでいる方など、在宅でお仕事に興味がある方。 男女問いません。

全てのお仕事がテレワーク!   

ご自宅で、ワークスペースで。環境が整えば、そこがあなたのオフィスです。

しかも、お仕事したい時間帯を登録して、オンラインアシスタントとして、 身につけたスキルを最大限に発揮することが出来ます。

時間報酬型でトレーニングも行いますので、安心して作業に入ることができます。

【misc.】「鉄道員」ぽっぽや を観て

ずっと観たかった映画をやっと観ました。北海道が舞台、雪景色が郷愁を誘います。1両編成の鉄道が雪景色の中を雪煙をあげて走る姿は胸が熱くなります。北海道育ちの私も懐かしい映像ですが、ちょっと前の変わりゆく日本の情景を描いた素敵な作品でした。

炭鉱、ローカル線・・・皆無くなってしまいました。そして、高倉健さんも、志村けんさんも亡くなってしまいました。涙・・・失ってたものをたくさん見たと同時に、懐かしいこと、故郷のこと、鉄道のこと、今の時代やこれからの時代について考えながら鑑賞しました。

鉄道について

第一次産業革命で蒸気機関車が登場します。石炭が鉄道を走らせ、鉄道が人や石炭を運び、街と街、人と人の距離を縮めました。駅には人が集まり商業も発展しました。産業の発展に鉄道が果たした役割は非常に大きく、まさに日本の国土に血が通うがごとく鉄道網が作られました。そんな鉄道が電化され高速化されていきます。

石炭の街は廃れ、若い人が仕事を求めて都会に出ていき石炭を運んでいた鉄道も不要になっていきます。しかし鉄道は少なくなった人と人を繋ぎ続ける社会インフラとして必要とされますが、民営化されると採算が悪くなり廃線なっていく。北海道みたいに広大な土地に人が少ない所はそうなる宿命です。

個人的には北海道は鉄道や電気は公共事業であって欲しい。

公(おおやけ)の心

明治気質、不器用な日本男児を演じたら高倉健さんの右に出る者はいません。明治の日本人は国の発展のために尽くす人がたくさんいたと聞きます。国のため、人のために喜んで私財を命を投じた日本人がたくさんいたことを忘れてはいけない。そんなことを考えさせるところもありました。

産業革命

第一次産業革命で蒸気機関車が登場し鉄道が人の距離を縮め、駅が発達しました。第二次産業革命では電気が人々の生活を圧倒的に便利にしました。鉄道も電化されモーターで走るようになりました。第三次産業革命ではコンピュータが登場して、生活にコンピュータが浸透していきます。

新しいもの、便利が道具が登場すると、新しい仕事、職業も生まれる一方で、無くなってしまう仕事もたくさん生まれます。飛脚や馬車、電話の交換手などはいまはもうありません。

自分の仕事もこれからの時代に合った仕事の仕方に変えること。昔ながらの仕事しかできないという年配の方にも変わってもらわないと会社は生き残ることができないかもしれない。おういう思いで仕事をしていますが、何十年と積み重ねてきた仕事の仕方は変えることは難しく、誇りを持っている方も多い。

大切なこと

世のため人のために働く仕事というのはとても尊く憧れます。例えば公務員の方々がそうなんだと思います。自分のことよりも人のこと、世のため人のためという思いで働く方たちがいる。せめてそんな人たちを支える自分でありたいと思いました。

また、変わりゆく時代の中でも、仕事に誇りをもちながら時代に取り残される人がいることを忘れてはいけないと思いました。

・・・セリフが沁みます

「おやじさん、キハの笛は胸の底までしみるっしょ
  新幹線の笛も、北斗星の笛もいい声だけど
   キハの笛は聞いてて泣かさるもんね
    わけもないけど、俺、聞いてて涙でてくるんだわ」

皆さんの思い出の沁みる笛の音はなんでしょうか

【misc】転職について(2)再転職 2008年

にほんブログ村 IT技術ブログ ITコンサルティングへ

2度目の転職は、最初の転職から1年後でした。あんなに希望にあふれ、志に満ちていたのになぜ?・・・なかなか思い通りにはいきませんでした。

Photo by Tom Fisk on Pexels.com

見苦しい言い訳はあまり書きませんが、転職して入社した時としばらくたってから会社の方針が変わってしまいました。私の知識や経験を活かした仕事で日本の製造業に貢献しようと仕事をしていましたが、それができない状況になってしまったのです。それに柔軟に対応できる能力が私にあれば継続できたのかもしれませんが、残念ながら無かったために上司も私に対して当初の期待から失望、諦めに変っていきました。チームのメンバーも次々と転職を始めたので、私も会社より自分の意志を継続するために転職活動を始めました。

簡単に良かった点と反省点などをまとめてみました。

良かった点反省点やGAPなど
・色々な会社の情報を得ることができた
・世の中に通用するところがわかった
・経営メンバーとしての体験
・外資系の風土を知ることができた
・コンサルタント側の実態がわかった
・働き方の自由度(成果主義)
・勤務地、勤務環境、給与
・誘ってくれた人と社員の温度差
・英語力が不十分
・現場にアクセスできない
・提案資料作成能力
・プレゼンテーション能力
・人の入れ替わりが激しい
・人間関係・信頼関係を築けなかった
・精神的な弱さ

約一年、外資系のIT企業でコンサルタントをして手ごたえのあったところもありますが、現場や情報に気軽にアクセスできないストレスを感じていたこともあり、事業会社で仕事をする方が自分の合っているのではないかとも感じていました。

しかし、困ったことに事業会社で今の給料と同じところはそうありません。定年まで勤めてればもらえたはずの退職金分は取り戻さなければなりませんし、住宅ローンや学費など、家族を養っていくためには待遇も簡単には妥協できません。もう少しコンサルティング業で自分を磨いてから事業会社に戻ることもできるだろうと思い、転職活動では同じ外資系のIT企業で仕事を探しました。

しかしある時、エージェントの方にこう言われました。

「事業会社に戻るのであれば40歳過ぎると難しいですよ」

悩ましいことになってきました。私の年齢は39歳 ・・・ぎりぎりです

そこに、また救いの手が差し伸べられます。お世話になった方からお誘いを受けたのです。その方は最初いた会社のグループ会社(事業会社)の方だったので、私は「希望年収が高いので無理だと思います」と、最初はお断りしたのですが、希望を聞いてくれ、現状よりも下がったものの、希望に近い額でオファーをいただきました。そこまでしていただくと、お世話になった方にお断りはできません。

すんなりと、2回目の転職先が決まりました。運がよかったのはリーマンショックの少し前にほとんど影響のない会社に転職ができたことです。

そして、次の転職先の魅力は何と言っても現場があること、そしてその現場が世界中にあることでした。1回目の転職先で経験値を上げ、再び希望を持つことができたのです。

ただ、その先もそう簡単にうまくいかないのです・・・つづく


【misc.】転職について(3)3回目の転職 2019年

にほんブログ村 経営ブログへ

3回目の転職は2019年1月でした。
(2018年12月末で退職)
2回目の転職から約10年たっていました。

1つの会社で10年も続けていたのかというと、実はそうではありませんでした。最初いた会社(新卒で入社した会社)のグループ会社に戻った形だったのですが、関連する会社3社を渡り歩きました。

最初の3年間はロジスティクス、次の2年間はコンシューマ・エレクトロニクス(家電など)、残りの5年をライティング(照明)事業で仕事をしました。情報システム、生産企画、物流統括、生産・物流統括と徐々にスタッフ業務をするようになった10年間です。

その間、世界中の物流拠点・生産拠点(といっても10か所くらいですが)を出張で回ったり、東日本大震災の復興支援、タイの大洪水の復興支援や、事業売却のリーダーとして売却先の中国企業と何度も中国で交渉を行ったり、生産・物流の拠点統廃合を進めたり、会社のビジネス・スクールを受講したりもしました。

多様な仕事をさせてもらい充実した内容で、振り返るといろいろなことがありましたが、あっという間の10年でした。

Photo by Karl Gerber on Pexels.com

最初に3回目の転職理由について記しておきます。

2018年当時、所属する会社は経営状況がよくありませんでした。急に悪くなったわけではなく、元々苦しい経営状況を会社をあげて改善をしている最中でした。2017年に一時黒字化して「さぁ、これから売上や利益率を上げていくぞ!」と計画をしていたところでしたが、そんな矢先に再び苦境に陥ります。

もう二度と経験したくなかったリストラや拠点のクローズなど痛みを伴う後ろ向きの仕事をまた数年継続しなければならないと思うと、自分の年齢は2019年からの10年=50代。40を過ぎて自分でできる仕事がどんどんなくなり、定年までに実現できることは限られてくる中で、50代は前向きな仕事をする(攻める)最後のチャンスだと思っていました。

そうしないと、60代以降は自分の価値が下がってしまう・・・という危機感

もちろんそれ以外でもモチベーションが上がらない理由は多々あり、複雑で様々な理由が重なって、転職という一大決心へとつながるのです。・・・ということで、転職を活動を開始したのであります。

大阪へ

2018年が始まったくらいから転職情報を集めていたのですが、なかなか良いところは見つかりませんでした。何度か面接までいっても条件が合わず不合格が3社くらいだったでしょうか。夏になると暑くてネクタイするのも嫌なので長期戦を覚悟していた時期、・・・突然、とあるエージェントの担当の方から電話が来ました。

「来週、大阪に行ってくれませんか」

事前の情報ではピンとこなかった(最初から好印象ではなかった)ので、若干いやいやネクタイしめて大阪に行きました。面接をしたら、双方感触良く、次週再び工場を見学し、会食を経て、条件のオファー そんな感じでとんとん拍子で決まりました。

スマートファクトリー、デジタル化など期待していただいたことは、私がやりたかった前向きな仕事です。今までの知識や経験が活かされとても興味を持てる内容でした。

といっても、決めるのはとても勇気が入ります。大阪の会社で大阪勤務というのは少々抵抗があったのと、事業が少し地味で小さく感じたことなど。もう少しゆっくりと決めさせてほしかったのですが、早く決めてほしいと言われ決めてしまいました。

あとがき

思えば、自分の会社員人生はほとんどが厳しい事業で投資できるお金もあまり無い中で、改革・改善をしてばかり。苦境を乗り切ることに知恵を絞って社会人を全うするのもありなのかもしれません。・・・しかし、今はデジタル化の波が押し寄せる時代。自分もその波に乗りたい、導かれる側ではなく、引っ張る側、波を起こす側になりたいとすら思いました。はい、またしても大それたことを考えています。相変わらず夢見る少年のような志に満ちた自分にびっくりです。いい加減にしないといけない気もします。

そして、3度目の転職もまた思ったようにうまくはいかず、挫折しながら生きていくことになるとはこの時はわかっていません。なんども同じ過ちを繰り返しているようで情けないですが、ただこれだけは言えます。少しずつ成長はし続けています。・・・

ここから先は、2回目~3回目の転職に至る過程で経験した事業について触れておきます。参考まで・・・

ロジスティクス(2008年~)

2度目の転職でこの会社にお世話になりました。最初の3年間は今までで一番楽しい時期でした。まず最初に毎月アメリカに出張して現地法人の支援を行いました。営業支援と情報システムの支援を行ったのですが、この時の仕事仲間は今でも大親友で、仲間にも恵まれた時代です。

主に情報システムの改革、実務を学びながら輸出入システムの開発などを手がけました。アメリカの他、香港、中国、タイ、フィリピン、シンガポール、ポーランドの拠点にも行き各国のフォワーディング業務を中心に実務を学びシステム化を考えました。開発したフォワーディングシステムはその後、会社で唯一のロジスティクス共通システムとして運用されることになります。開発メンバーにも実務の方にも文句を言われ、頭を下げて、それでも意志を貫いてグローバル共通化を果たした経験は貴重で自信にもつながりました。

良くなかったのは、私の不徳の部分だったと思います。途中で入ってきて今まで誰もできなかった、グローバル共通の業務システムを短期間で作ってしまったら、面白くない人はたくさんいたようです。みんなで協力して作り上げたつもりでしたが、多くの人への配慮ができなかったのだと思います。

このシステムから関連するシステムを順次共通化していく構想を持っていたのですが、見事に続きませんでした。本当に残念なことですが自分の不徳が招いたことだと反省しています。

コンシューマ・エレクトロニクス(2011年~)

この時も昔お世話になった方からお誘いを受け、キリの良いタイミングで転籍となりました。私もかなり天狗になっていて、いろいろと意見をしていたので上からも面倒に思われていたのではないかと思います。あっさりと出されてしまいました。出向という形です。

この転籍(出向)にあたって、ロジスティクス会社の役員(総務担当)の方は最初反対していました。しかし出向先の体制・人員をみて素晴らしい人脈ができるということで最後は私に「行った方が良い」と快く後押しをしてくれました。

その通り、コンシューマ・エレクトロ二クス事業には後々親会社やグループ会社で経営幹部となるようなエース級の人材がたくさんいて、私が担当した生産・物流の統括管理の仕事は、自分にとっては慣れないスタッフ業務が多くて苦労したのですが、やりがいがあり、貴重な人脈が形成されました。

実はこの部署に転籍したのが、2011年3月5日(月)。慣れるどころか顔と名前も憶えていないその週の金曜日3月11日に東日本大震災に見舞われます。それから半年は復旧などの支援、そして同年10月にはタイの大洪水で関連する工場が水没してしまい、その復旧支援に忙殺されました。その後は親会社の厳しい管理のもと、設備投資・投融資の管理や棚卸削減のプロジェクトに振り回される(良い経験でしたが)2年間でした。

ライティング(照明)機器事業(2013~2018年)

LED照明が本格的に普及し始めたことは、フィルムカメラがデジタルカメラに変ったと同様、パラダイムシフトでした。ガラス加工に始まり光る仕組みを作りこむ蛍光灯や電球製造はアナログ製造です。それが光源は半導体部品として購入して組み立てるデジタルプロダクト製造に切り替えなければなりません。さらに部品はどんどん高品質で低価格なものが登場するデジタル製品ならではの事業のスピード感、在庫が生鮮食料品のように瞬く間に陳腐化する世界は伝統事業には追従することがとても困難でした。

そんな中、製造プロセス(自動化など)、生産管理、ロジスティクスとあらゆる管理ポイントでコスト削減を改善レベルから改革レベルまで行い、拡大していた中国製造も思うような効果がでないまま人件費が高騰するなど逆風。最終的には事業売却する出口戦略をとり、ようやく光が見えたところに、違う要因でまた事業は苦境に立たされます。

2018年、さらに事業縮小、リストラ・・・ということで私のモチベーションは急降下

まとめ

転職は一度したら癖になるとも言われています。確かに仕事をしていて行き詰った時、モチベーションが下がった時に、精神的に病んでしまうのであるならば、外に出る選択肢があるというのは良いことでしょう。それに自分の市場価値を定期的に意識するようになり「今いる場所でダメならやめちゃえば良い」と思う(思える)ようになります。

私の場合、仕事をする上での判断基準は、仕事で「自分が成長できるか」です。

今の仕事を続けていても全く成長しないのであれば人生の大事な時間をかける意味を感じなくなります。自分が成長できる環境を探してそこに身を置けるのは限られた時間(人生)を過ごすうえで貴重な選択となるでしょう。視野を広げたら希望の出口は見つかるのです。

一方、転職というリスクのある選択をせずとも、同じ会社で自己実現を目指すことも非常に尊いことだと思います。日本企業は終身雇用を前提として雇用形態が成り立っているところもあり、嫌なことがあっても辛い環境でも我慢して時を待ち、仕事の成果と自らの成長を叶える方もたくさんいます。生え抜きの優秀な社員は会社にとって最も大切にすべき存在なのかもしれません。

会社の中を熟知している方がいて、その中に社内では経験できない外のことを良く知っている転職者がうまく寄り添うことで、お互いの価値、ポテンシャルが経営貢献として発揮されるのが理想ではないでしょうか。

【misc.】転職について(1)私の最初の転職 2006年

にほんブログ村 経営ブログ ものづくり・製造へ

最初の転職は、2006年でした。
1991年に大学を卒業し就職して15年
37歳で自分の中では一番働き盛りな時期

「もっと日本の製造業のために貢献したい」

な~んて、血気盛んに会社を飛び出しました。

Photo by Jimmy Chan on Pexels.com

きっかけ

きっかけは、お世話になった知り合いの方から声をかけられたことでした。

当時の私は年間売上が数千億円のグローバル事業に所属していて、SCM(Supply Chain Management)システムの導入に携わっていました。1998年から参加していたのですが、SCMシステムやERPシステムなどの大規模なシステムの導入を、業務側の立場で推進し、欧米企業とのし烈な競争に負けないように奔走していました。

日本の工場(マザー工場)で勤務し、アメリカ、ドイツにあった工場の機能を徐々に中国に移管していきながら、生産管理機能(特に計画系)をPLM(Product Lifecycle Management:設計情報、製品情報)にまで口を出しつつ、SCMシステムで実行できるようビジネスプロセス改革を進めました。今でも内容についてはよく覚えており、この頃の自分が今の自分の仕事のベースになっています。

大規模なSCMシステム導入はまさに製造業の経営そのものでもあり、そのような仕事に中心メンバーとして参加させていただけたことはやりがいのある幸せなことでした。

日本の会社の中で日本のものづくりに誇りを持って仕事をしていましたが、時代は中国が世界の工場と変わりつつある時代。良い仕組みを作れば日本国内でのモノづくりはまだまだメリットがあると思っていましたが、徐々に製造を中国や台湾の会社に委託するようになっていきました。時代の流れに乗っているようでも競争の激しい製品事業だったため、事業損益は良くならずリストラをくりかえし、少々モチベーションが下がっていました。そんなタイミングで外からお声がかかったのです。

外資系のIT企業だったので、まだ30代の私には夢のような条件(年俸)でした。そして何よりも仕事の内容はSCMのコンサルティングサービスという、自分が一番自信のある分野。会社を離れるのはもちろん悩みましたが、今所属している会社にこだわることなく、日本の製造業のために役に立てるかもしれないという(今思うとだいそれた)志を持つことができたこと、そして好待遇は非常に魅力でした。

就職や転職で重要なのは、「仕事の内容」「待遇(給与)」「勤務地」だと思うのですが、仕事は文句なし、待遇も良し、そして勤務地も東京の山手線内という便利でかっこよいところ。脂ののっている37歳の私は夢と希望に満ち溢れていました。

もう行くしかない! 

そう決めて退職願を出しました。

反省しなければならないのは、自分は部下を持つ管理職の身であったにも関わらず、信頼してくれていた部下たちを置き去りにしてしまったことです。私がいなくなって良かったと思う人も少なからずいたかもしれませんが、少なからず会社を去ることを残念に思ってくれる人がいて、その方たちのことを私はこれっぽちも考えていなかった・・・そんな自分が恥ずかしいと後々思うことになります。

大手企業の管理職を捨てて、アメリカのIT企業(日本法人)に転職することに対して「もったいない」とか「珍しい」という声も多くありました。当時ライブドア社の問題もあり、IT企業にはあまり良い印象がない方もいて「大丈夫?」と心配してくれる方もいました。もちろん親にも心配をかけてしまいました。

定年までいればそれなりにいただける退職金もほとんど出ない若さで、退職金制度の無い外資系の会社にいくことも、目先の給与に目がくらんでいるようにも見えたでしょう。自分としてはよく考えて、将来の可能性や厳しい世界での成長に期待して決意したつもりです。

2006年当時、まだ転職はそれほどポピュラーではなく、決めた後は家族の不安や職場や仕事仲間の様々な反響が自分に伝わる中で退職届を出しました。さすがに退職するためのプロセスをこなしていく過程は少し怖かったのを覚えています。しかし決めたからにはもう戻れないと覚悟の上でした。

職場の皆さんが最後に激励会を催してくれ、胴上げまでしていただいたことは生涯忘れない想い出です。

2006年9月末日 退社

【word】noblesse oblige(ノブレス・オブリージュ)・・・管理職の心構え

にほんブログ村 経営ブログへ

私がマネージャー(管理職)になった時にある本に出合いました。その本に書いてあった忘れられない言葉の一つです。

<デジタル大辞泉の解説>
身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで
「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」の意。

Photo by Vlada Karpovich on Pexels.com

なぜ、この「ノブレス・オブリージュ」という言葉が私の心に響いたのかというと、当時会社で責任のある立場の方たちの中に無責任な人が多かったからです。

こんなブログも書きました↓

【Business】責任を取らない責任者
https://fivestardx.com/2020/12/14/%e3%80%90business%e3%80%91%e8%b2%ac%e4%bb%bb%e3%82%92%e5%8f%96%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%84%e8%b2%ac%e4%bb%bb%e8%80%85/

私自身当たり前だと思っていることで、おそらく読んでいただいている方も同じく当然のことだと思いますが、「指示に従った部下の仕事の失敗(期待効果が無かったこと)は上司の責任」だと思うのですが、この責任を認めない管理職がたくさんいたのです。

管理職、責任者は高い地位でありそれなりに高い報酬を得ています。
なぜならば、大きな責任を背負う困難な仕事であり、それができると認められた人だけが成り得る仕事であるからだと思います。

高貴な身分というと憧れの的です。人々から羨ましがられる存在であり誰でも成れるものでもない。しかしそれは義務を持つことで得られる地位・名誉でもあり、その義務とは命を懸けて人民を守るということ。

逆に言うと

厳しい義務を背負っているから、普段は優雅な生活ができ、自分の意志で厳しい訓練を行ったり、自分の意志で自分を管理できるのでしょう。

今の時代、軽々しく命を懸けるなどということはないですが、会社でそれなりの立場になったのであれば、仕事の成果のみならず、部下ひとりひとりの人生を背負っているつもりで働かなければならないと思います。それがまたその立場が人を育て、さらに大きくなっていくのではないでしょうか。